2022年03月08日

さる2月14日、ようやく再就職の内定をいただいた。
4月からの職場は「国立研究開発法人 科学技術振興機構 情報企画部」です。
仕事内容は、科学論文DB J-Dreamの運営。新たな技術用語の整理、抄録の整備、などです。
地味だけど世の中に役立つ仕事だと思います。誇りを持って取り組みたいと思います。
しかし、五十代後半の就活は結構大変だった。まあ、楽しかったけど。
最初は、今持ってるスキル、私の場合はCAE技術、設計技術がらみで、気象予測、災害予測、風力エネルギー、環境、宇宙開発 などやりたい分野の民間企業に応募しまくったが全滅だった。
公共機関も国際協力やグローバルプロジェクトの運営関係は全然ダメだった。
結局書類選考が通ったのは、アウトソーシング1社、NEDO、JST、そしてIPCCだけだった。
NEDOとIPCCは途中棄権したけど。 

明日から5日間、四国八十八ヶ所参りに出かけます。20番札所までが今回の目標。
2年間続いたコロナ禍でのテレワークのため運動不足、血圧の薬が原因と思われる酸欠などの問題で、ちょっと不安だが自分のペースで歩こうと思う。
目的は、心身のリセット、自分に34年間の労いを言う、父さん、母さん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、義理のおばあちゃん、亡くなった人の冥福の祈り、家族の健康、新しい仕事がうまく行くように祈願、結愛の学業成就祈願、世界が、ウクライナが平和を取り戻すように、日本がずっと平和でありますように祈願、です。欲張り過ぎ? 
少し痩せるといいのだが。 

2020年09月03日

2020年8月31日7:41母が逝去した。
半年間入院していたが、コロナのせいで最期に立ち会えなかった。最後に会えたのは2月の下旬だった。娘も窓越しにおばあちゃんに会えた。それがせめてもの救い。
葬儀はカトリック教会で執り行った。母の最後の願い。叶えてあげることができた。
母は私の光だった。今の私の全ては母からもらったものだ。
子供の頃も大人になってからも、母に見てもらってた。だから勉強も仕事も頑張ってこれた。母が良いと思ったことは、私にとってもよしとすることだった。
今、まるで子供のように初めてつないでいた母の手を離されたようだ。
これから何を頼りに生きて行こうか?
頑張る意味はなんだろうか?
帰るところが無くなった。
子供の頃、食卓を囲んだ家族。父も母も祖母もみな逝ってしまった。
通夜や葬儀が忙し過ぎて悲しんでいる余裕が無かったが、今すべて終わって放心状態。
悲しい、寂しい、そしてポッカリと穴が開いたようだ。